金子みずゞ (本名 金子テル)

1903年(明治36年) 4月11日、山口県大津郡仙崎村(現長門市仙崎町)に生まれる。
父庄之助、母ミチ、祖母ウメ、兄堅助、弟正祐の祖母の6人家族で暮らしていたが、
みすゞが3歳の時、父が死亡。
生まれて間もない弟は、下関で上山文英堂書店を営んでいた母の妹夫婦の家へ養子として
もらわれていった。

働き手のいなくなった金子家は、上山文英堂書店の後押しで仙崎でたった一軒の本屋を始める。
テルの母はとても働き者で、子どもたちが立ち読みをしても決して叱らず、むしろ本を読む子は
えらいねと褒めるような優しい人だった。
そんな母に育てられたテルは優しく、本の大好きな少女へと成長する。

テルが女学校2年の時、下関の上山文英堂書店の伯母が亡くなり、主人とテルの母が再婚し、
弟の母となった。
テルは仙崎の祖母のもとに残り、女学校を卒業する。兄を手伝いながら店番をしていたが、
兄が結婚すると、下関の母と暮らし始め、上山文英堂書店の支店の店番として働く。
小さな店だったが、テルにとっては大好きな本に囲まれた、心の王国のような場所だった。
詩が載っている雑誌には全て目を通し、西條八十の童謡に心を躍らせ、

「自分も童謡を書いてみたい」と思うようになる。

二十歳になった年の6月、西條八十が選者をしている雑誌
『童話』に投稿。
始めて書いて、始めて投稿した童謡、
「お魚」「打出の小づち」が選ばれ、
『童話』9月号に掲載される。その後、10ヶ月の間で23編が選ばれた。

西條八十はみすゞの童謡を
「この感じはちょうどあのイギリスの詩人、クリスティ・ロゼッティと同じだ」と褒め、
励まし、絶賛した。。

こうしてみすゞの童謡は多くの詩人や文学少年・少女の心を捉え、日本中の若い詩人や
読者の憧れの星になっていった。

23歳の時、テルは上山文英堂で手代格だった夫と結婚。
しかし、文学に理解のない夫は、童謡を書くことと、投稿仲間との文通を禁じた。
みすゞは3冊の手書きの童謡集『美しい町』『空のかあさま』『さみしい王女』を清書し、
一部を西條八十に、残りの一部を弟正祐に送った後、創作の筆を断った。

そんなみすゞの心を一番慰めたのは3歳になった愛娘の片言のおしゃべりだった。
みすゞは『南京玉』と題した手帳に、344の愛娘の言葉を書き溜め続けた。

夫は家を空けることが多くなり、夫との関係は更に辛いものになっていった。
(当時みすゞが患っていた病、遊郭の病、淋病も、みすゞは夫からうつされたものだった。)
心身ともに疲れたみすゞは
「愛娘をみすゞ自身が育てること」を離婚の条件として
離婚を決意。そして昭和5年2月、離婚。

当初、夫はこの条件を承諾したが、後になって娘を返せと頻繁に手紙を送って来る。
ついに昭和5年3月10日、娘を連れに行くと言って来た。

 ‐私は娘を心の豊かな子に育てたい。あの人にはそれはできないと思う‐

戸籍上、既に母ではなかったみすゞは、連れに来られたら娘を渡さなければならず、
追いつめられたみすゞは、ある決心をする。

3月9日。みすゞは娘のために写真を撮りに写真館へ行き、その帰りに母と娘のために
桜餅を買って帰る。その晩、3歳の娘と風呂に入り、たくさんの童謡を歌ったという。
風呂から上がると母、父(正確には継父)、娘の4人で桜餅を食べ、いつものように明るく
過ごしたという。

その夜、遺書をしたため、遺書と、前日撮った写真の預け証を枕元に置くと
カルモチンを飲んだ。

「娘を連れて行きたければそれもよいでしょう。ただ私は娘を心の豊かな子に育てたい。
 自分が母に育ててもらったように、娘を母に育てて欲しいのです。
 どうしてもというのなら、それは仕方がないけれど、
 あなたが娘に与えられるのはお金であって、心の糧ではありません。」

                                        (前夫へ宛てた遺書)

母への遺書には、先立つ不幸の詫びの言葉と、あとに残す娘のことを頼む旨と
「今夜の月のように私の心も静かです」と書かれてあったという。

1930年(昭和5年)3月10日、金子みすゞ、本名テルは下関市西南部町50番地
(今の下関市南部町7−15)にあった上山文英堂書店の2階で、この世を去った。
享年満26歳。

若くしてこの世を去ったみすゞの作品は、世に出ることなく過ぎ、『幻の童謡詩人』と
語り継がれるのみとなってしまった。

みすゞの没後50余年後、童謡詩人・童話作家で、児童文学者でもある矢崎節夫氏
(現・金子みすゞ記念館の館長)の尽力で再び世に送り出され、今では小学校の国語の
教科書に掲載されるようになった。

”みすゞというペンネームは、信濃の国の枕詞、みすずかるという言葉の響きが好きで
つけた名前である。

            <写真>  1923年5月3日撮影

金子みすゞについて